司法試験は難関試験の一つに数えられることがあります。
では、司法試験の難しさとはどのようなところにあるのでしょうか。
以下、司法試験が難しいとされている理由について分析してみます。
なお、近年の司法試験の出題傾向は全く知りませんので、あくまで〇〇年前までの司法試験のことを前提にさせていただきます。
「暗記」が役に立たない
弁護士あるあるの一つに「六法全書を暗記しているのですか?と聞かれる」というのがありますが、法律の暗記など一部の超記憶能力をもった人以外には不可能です。
司法試験においても、単純な条文の文言が問われることは稀であり、得点源にはなりません。
暗記というのは掛けた時間・努力に比例して成果があがるので、暗記が役に立たないとなると、愚直な努力が必ず奏功するとは限らないということを意味します。
文章力が役に立たない
もちろん、最低限の日本語が書けることは大前提ですが、美しい日本語が書けても、得点源にはなりません。
むしろ、美しい日本語に拘るあまり、そちらに時間を割いてしまうと、真に得点に繋がる記載を書き逃してしまう可能性があります。
論理的思考力が全て
暗記が不要、文章力も不要だとすると、一体何が必要なんだということになりますが、そのベースとなるのが論理的思考力です。
ただ、司法試験は論理学ではありませんので、そこでは法学特有の一定の作法を踏まえた論理的思考力=リーガルマインド(法的思考力)が問われることになります。
リーガルマインドとは
リーガルマインドとは何かを一言で説明することは困難ですが、司法試験に引き付けて言うと、「重要な法的キーワードの概念を大掴みに把握し、敷衍する能力」と言い換えることができます。
例えば、大上段の概念でいうと、立憲主義、私的自治、罪刑法定主義などから始まり、二重の基準論、取引の安全、一般予防などの概念に降りていきつつ、検閲、錯誤、窃取などの個別論点の概念を理解しつつ、これらを使いこなせるかということです。
司法試験が問うていること
司法試験は決して「君はこの論点・判例を知っているか」という問い方をしてきません。
「君はこの問題についてどう考え、どのような理由付けで、どんな結論を出すのか」ということを問うてきます。
そのときに、暗記した知識を吐き出すだけでは得点になるわけはありませんし、文章の修飾語の美しさに加点がされるわけでもありません。
大切なのは、
- 出題者の出題の意図を読み解き問題点を把握する力(分析力)
- 問題点について既存の法的枠組みを用いつつ論理的に検討する力(論理的思考力)
- 結論の妥当性にも配慮しつつ明確な結論を導く力(バランス感覚)
ではないかと思います。
最後に
大学受験における受験勉強では、まだ比較的暗記が通用する世界ですし、答案の解答は、一部の例外を除き、ほぼ一つのルートに決まっていました。
他方、司法試験における受験勉強では、法体系の全体像の大掴みの理解には長い時間がかかりますし、そこからさらに進んで、その相互の関係性を理解しようと思えば、様々な裁判例にあたり、また実践的な問題演習を数限りなくこなしていく必要があります。
解答例が絶対ではないため、自分の解答が第三者から見てどのように評価されるのかを知るためには、独学には限界があり、友人、教師などとのディスカッションが欠かせません。
大学受験を成功させた人でも、司法試験に高い確率で合格できるわけではない大きな理由は、この方法論の違いがあるからだと考えられます。