今回は、裁判の勝率に意味がないことについて、前回とは違ったアプローチで解説したいと思います。
前回は、そもそも紛争には勝ち負けがはっきりしないものも多いということを挙げましたが、今回は、勝ち負けがはっきりする事件を前提としているとお考え下さい。
また、ここでいう「意味がない」とは、「弁護士の能力とは無関係」ということを指しています。
1 勝つ事件ばかり受任する弁護士もいる
一部の弁護士が弁護団を組むなどして取り組んできた事件が、長い時間をかけて最高裁で認められ、それまでの実務が変更されることがあります。
そうすると、それまでは請求が困難で多くの弁護士から敬遠されていた事件が、突然どの弁護士でも請求可能になる、ということがたまに起きます。
事案により細かな争点は残ることがあるものの、基本的には負けることはありません。
このように請求が容易になった事件について、法律事務所によっては、テレビやインターネットの広告を用いて依頼者を集め、その分野に絞ったマーケティング戦略を取るところが増えてきました。
ときに、差別化のためか、弁護士費用の安さを売りにしたりします(実際は他の法律事務所と比較してもそれほど安くはないのですが)。
このような場合、勝率はほぼ100%となります。
さて、これは弁護士の能力と関係があるでしょうか。
マーケティング能力は高いといえるかもしれません。
しかし、それは弁護士としての能力ではないと言えます。
2 難しい事件ほど能力が試される
誰が見ても勝てる事件を勝つのは当たり前です。
そうではなく、我々弁護士の世界では、難しい事件を勝利に導く能力こそ高く評価される傾向があります。
しかし、難しい事件にチャレンジする機会が多ければ多いほど、勝率は低くなります。
なお、この「難しい事件」というのがくせもので、弁護士によって難しい事件の定義はまちまちです(また別の記事で解説します)。
異論のないところでいえば、刑事裁判で無罪を勝ち取るのはかなり難しいので、一度でも無罪を取ったことがある弁護士は一目置かれると思います(個人的には、無罪を取ったことがあり、かつ、「単にそういう事件にあたっただけです」と謙遜する弁護士のことを尊敬します)。
〇小括
弁護士業は、勝ち負けの結果に晒されることが比較的多いですが、負ける可能性の高い事件だから受けない、と割り切れるものでもありません。
依頼者との信頼関係が構築できれば、負ける可能性が高くてもベストを尽くして戦うことは普通にあります。
依頼者にとって、勝ち負けだけでなく、ベストを尽くして戦ったということ自体に意味があることもあります。
100メートル走に例えると、50メートルのハンデがあるからといってゴールに向かって一生懸命走らないわけではないし、ハンデがない走者が先にゴールしたからといって彼の足が速いことにはなりません(すみません、むしろ分かりにくいですね)。